2013年7月10日水曜日

芭蕉翁に憑いたそゞろ神とは何か?

どうも!初心者ブロガーの@recha1です。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

これはかの松尾芭蕉が著した「奥の細道」の序文冒頭です。中学生の時に国語の授業で暗記させられたおかげで皆さん良くご存知でしょう。
さらに序文を読み進んで行くとこんな文章が現れます。

「そゞろ神の物につきて心くるわせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず」

序文とは芭蕉が旅に出かける理由を説明している部分であり、そゞろ神に心を乱された芭蕉は東北地方へと旅立ちます。
芭蕉を旅へと駆り立てたそゞろ神とは何でしょうか?今回はそんなお話です。



まず、そゞろとはあまり使わない言葉ですが「そゞろ歩き」とか「気もそゞろ」と言ったぐらいでしょうか。どちらも他の事に気を取られている様を思い浮かべますね。そんな「そゞろ」を司る神とはどんなものか調べてみると、どうも芭蕉の造語のようです。つまり、芭蕉は旅に出たくなった理由を「そゞろ神」という神仏のせいにしています。さらに道祖神にまで招かれていて、旅の理由付けには完璧です。


道祖神とはお地蔵さまの事でもあり、賽の神(サイノカミ)です。賽の神とは境界、境い目を護る神で、昔は村の境い目に祀られていて村を護る存在でした。現代においても、峠やかつて境い目だった場所にお地蔵さまや石仏が置いてあるのを見た事があるでしょう。

芭蕉は他の事が手につかなくなる程の思いの神に憑かれ、賽の神にも招かれて日常の境界を飛び越えて旅に出かけます。






芭蕉のいう「そゞろ神」とは何であるか?
それは芭蕉の時代から続く「人の好奇心」ではないでしょうか?
現代においても、日常生活の中で旅への好奇心を募らせ、非日常へと境い目を飛び越えて旅に出かける人は多いですよね。少なくとも私はそうです。結局のところ、江戸の頃から人はあまり変わらないのだなぁと思ってしまいました。

当ブログはそゞろ神に憑かれた筆者が、好き勝手にそゞろな物を書いていきます。
どうぞ、ご贔屓に。

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